何かあったのだろうか。
経過報告でもあるのだろうか、それにしても早すぎるし担当医が手術中に出てくることがあるのだろうか。
それとも思ったほどのことではなかったのだろうか。
いろいろな考えが頭の中に廻った。
「あ、終わったんですか?」
なんと言っていいかわからず、私の口から出てきた言葉はそれだった。
「はい、ご説明しますのでこちらにきていただけますか」
先生に促され、私たちは部屋を出た。
小さな部屋に通された。
4畳半ぐらいしかない。
パソコンが端にあり、真ん中に小さな机が置いてある。
パソコンの傍に先生が座り、反対側に私たちが座った。
先生の手元には銀色の器に何かがある。
私はそれに目を向けず先生を見ていた。
弟が座ったのを確認し、先生が話し始めた。
「(お腹を)開いてみたら、お話したとおり腸が破れていました」
銀色の器にあったものを示しながら、
「ここに大きな穴があります。5㎝ぐらいでしょうか。」
先生はそれをピンセットで広げて見せた。
内臓などをみるのは苦手ではないが、母のものと思うとなぜか正視することができない。
銀色の器を少し横に避けて、先生は続けた。
「やはり内容物が流れ出ていました。お腹全体に広がっています」
私たちは無言で聞いていると続けて
「お腹を大きく開き、広がっている内容物を除去しました。しかし、細菌が全身に回っています。開腹後、血圧が極度に下がり・・・」
聞き間違えたのだろうか?血圧が60ぐらいに下がっていると聞こえた。
血圧が60という人を聞いたことがない。それがどんな状態か分からなかったが、先生の話から非常に危険な状態であることを察した。
「そのため、今日は人工肛門を造設することはできないと判断しました」
このまま続けると身体の負担がさらに大きくなる可能性が高いということらしい。
ここで弟が、
「今、母のお腹は開いた状態なのですか」と尋ねると、
「はい、開いたところにシートのようなもので臓器を包んでいます。これがお腹を保護する役割を果たしています。」
「それで・・・どうなるのでしょうか」
「48時間以内に血圧などの数値が、手術に耐えられる程度まで回復するのを待つことになります」
このとき、私はこの48時間の意味を理解した。
「血圧がそこまで下がったのは、細菌が身体にまわったためでしょうか」私はそう尋ねると、
「そうかと思われます。お母さんは、倒れる前まではどのような体調でしたか」
「普通だと思います。農作業などの仕事を毎日していました。元気な方だと思います」
「そうですか・・今、最大濃度の血圧を上げる薬を投与し血圧は少し落ち着きました。この状態で回復できるのを待ちます」
しばらく沈黙が流れ、
「原因はなんだったんでしょうか?」
私は腸が破れた理由を聞いた。
「ガンは見当たりませんでした。腸に圧力がかかって破れたのか・・・はっきりした原因はわかりません」
「そうですか・・わかりました。私たちはどうすればよろしいですか。ここで待つことになるのでしょうか」
父はずいぶん前に亡くなっている。
数年の闘病生活をし、最後は病院のベッドだった。
この時と事情は全然違うが、父が亡くなる時は、家族が交代で泊まり込む計画をたてた。
その日を今でも覚えている。
先生から「1週間程度でしょう」と言われ、母や親せきの叔母、そして私は交代で見守ることを決めた。
最初に私が見守ることになった。
次の日、仕事だった私は、夜中の12時まで見守り、母と交代することに。
12時を過ぎ、私は家に帰り1時過ぎに寝ようとしたところ、父が亡くなったと電話があった。
同じように、何かあった時のために近くにいるべきなのか尋ねてみた。
「構いませんが、控室しかありません。何かありましたらご連絡しますので、お帰りになられても大丈夫です」